東広島キャンパスから出土した遺物/鏡西谷遺跡

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弥生時代

分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)

D地区で出土した分銅形土製品です。分銅秤(はかり)の分銅の形に似ていることからこの名前がつきました。弥生時代に特徴的な遺物で、中・四国地方を中心とする地域で用いられました。時期的には弥生時代の中期後半から後期前半を中心としています。分銅の形のほか、工の字形のものもあり、顔を表現しているの書かれている例もかなりあります。ます。祭祀用の道具と考えられています。

弥生土器

E地区では周溝墓状遺構付近などから多数の弥生土器が出土しました。一括で廃棄されたような状態で出土しているものも多くあり、土器の形がよくわかるような状態で出土してるものも多くあります。弥生土器は、甕形土器、壷形土器を主体として、鉢形土器が認められます。甕形土器、壷形土器は大小といった大きさだけではなく、いくつかの形が認められます。

土坑墓出土の弥生土器

G地区の南端部の土坑墓(SK06)から出土した一括資料です。お墓に備えられた共献土器と考えられます。壷形土器、甕形土器、鉢形土器が認められます。住居出土の土器の組み合わせと比べて壷形土器の割合が高く、丁寧な調整のものが多いことが特徴です。

歴史時代

溝出土の墨書土器(中世)

B地区の溝(SD01)内および周辺では土師質土器坏・皿を中心として、土師質土器鍋や備前焼甕などが出土しています。土師質土器坏の中に墨で文字の書かれたものがありました(墨書土器:ぼくしょどき)。坏の内面に「五口(口の部分は不明、つと思われる)」と墨書されています。5個が単位で売られていたのかもしれません。

1号掘立柱建物跡出土の土器(鎌倉時代)

C地区の1号掘立柱建物跡および建物をめぐる溝から多量の土器や石鍋、鉄鎌などが出土しました。土器は、土師質土器(はじしつどき、写真左半および前列中央)を主体として、青磁(せいじ、写真中央後列)、亀山焼、須恵器、瓦器(がき、写真右半)などが認められます。土師質土器は、坏、皿が中心で、鍋、釜があります。青磁や瓦器は、碗、皿、亀山焼は、鉢、甕、須恵器は鉢が主な器形です。土師質土器は基本的に地元で焼かれたものと思われますが、青磁は中国から輸入されたもので、瓦器は和泉産(大阪府)、須恵器は播磨産(兵庫県)、亀山焼は備中産(岡山県)と考えられ、西日本各地から入手しているようです。

青磁(鎌倉時代)

C地区で出土した青磁は碗および皿が認められます。多くは破片ですが、ほとんど元の形に復元できるものもありました。内面に櫛状の工具で草本類の葉状の文様を描くものや碗の外面に粗い平行線を描くものなどがあり、中国の龍泉窯(りゅせんよう)系や同安窯(どうあんよう)系の青磁と考えられます。

須恵器(鎌倉時代)

C地区で出土した須恵器は鉢を主体として甕が少量認められます。破片を接合すると、全形をうかがえる程度に復元できる程度のものはありますが、元の形にまで戻るものはありません。出土量もあまり多くはありません。形態の特徴から、兵庫県の魚住(うおずみ)窯や寒出(かんで)窯などで生産されたものと思われます。

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