東広島キャンパスの遺跡/鏡東谷遺跡

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鏡東谷遺跡

鏡東谷遺跡[1]は標高240~255mの丘陵平坦部を中心に営まれた遺跡で、中・近世を中心とする複合遺跡です。発掘調査を行う前は民家や水田・畑地・山林などで、階段状の地形でした。調査の結果、これらの階段状地形の多くは中世の遺構を構築する際に造成されたものであることがわかりました。調査は民家の存在した北地区と水田・山林を中心とした南地区について行いました。発見された遺構をまとめると次のようになります。

北地区(江戸時代~明治時代)
土坑墓3基,石組み遺構1基,特殊土坑ほか
南地区(弥生時代~江戸時代)
弥生時代後期前半:竪穴住居跡1軒、掘建柱建物1棟
古墳時代後期:横穴式石室墳1基
室町時代:掘建柱建物3棟、溝3条、池状遺構1基ほか
江戸時代後半:土坑墓7基(座棺6、火葬墓1)

弥生時代・古墳時代の遺構・遺物の分布状況

鏡東谷遺跡では弥生時代の遺構が広く分布していたと思われますが、中・近世の遺構が構築される際に大規模な造成が行われ、ほとんど削平されたようです。弥生時代の遺構は南地区で住居跡2軒が発見されています(明るい水色部分)。作業場と思われる小型の竪穴住居跡と倉庫からなっており、不自然な構成であることやかなり削平を受けいることなどから、さらに多くの遺構が周辺に存在したものと思われます。また、北地区でも弥生土器(やよいどき)が広い範囲から出土しているので、住居などが存在したものと思われます。古墳時代の遺構は古墳が1基発見されました。

中世・近世の遺構・遺物の分布状況

鏡東谷遺跡では北地区に近世、南地区に中世の遺構が広く分布していました。北地区では、調査直前まで民家が立っていましたが、民家が建てられる以前には調査区の東半部に江戸時代の墓地が営まれたようです。南地区では室町時代の館跡の施設がよく残されていました。

鏡東谷遺跡北地区

鏡東谷遺跡南地区