東広島キャンパスの遺跡/鏡東谷遺跡北地区

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鏡東谷遺跡北地区

北地区では、調査区東半で江戸時代後半の土坑墓3基、石組み遺構1基、江戸時代末~明治の特殊土坑5基が発見されました。調査区西半では大小の土坑10基が見つかりましたが、性格は不明です。調査区東半では元々墓地として利用されていたと思われますが、その後宅地に転用されています。特殊土坑は厠や肥溜めなどと考えられ、宅地に転用された際に作られたものと思われます。特殊土坑の時期はよくわかりませんが、墓地の廃絶が早くても江戸時代後期であることから、江戸時代末~明治時代と思われます。

このほか、調査区の西端で埋没谷を検出しました。民家を建てる際に埋め立てたものと思われます。谷の中からは近世の陶磁器土師質土器(はじしつどき)などがたくさん出土しました。

1号土坑墓(SK08、江戸時代)

平面が長方形を呈する墳墓で、長さ1.6m、幅90cmの規模をもっています。現状で深さ10~15cmですが、上部を大きく削られているので、本来は30cm程度の規模はあったと思われます。墓坑の中には大小の石が充填されていました。お棺の周囲や蓋の上にのせられていたものと思われます。鎌倉時代や室町時代など中世のお墓と共通した構造を持っていますが、江戸時代にも同様なお墓が造られたことがわかります。お棺は木製で鉄釘で止められていたようです。磁器椀、土製品、鉄銭(てっせん、てつせん)が副葬品として納められていました。鉄銭は「仙臺通宝」の文字が鋳出されており、天明4年(1784)に仙台藩で鋳造された仙臺通宝であることがわかります。出土の磁器や鉄銭から江戸時代後期のお墓と考えられます。

石組み遺構(SX08、江戸時代)

大型の石で竪穴を築いており、内法で、長さ1.35m、幅約1m、深さ80cmの規模があります。竪穴を築いている石は長さ30~60cm程度の大きさで、細長く平らな面を内側に向けて積まれています。石の隙間や床には漆喰が塗られていました。中からは何も出土していないため、機能は不明ですが、貯蔵穴やお墓の可能性があります。北地区の墳墓は当時の一般的な農民や町人のお墓に比べて丁寧な作りをしていることから地方在住の武士や農民層でも上位に位置する人々が葬られている可能性があります。

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