「お知らせ/令和2年度地域文化功労者表彰(文部科学大臣)について」の版間の差分

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 関先生は,昭和9(1934)年に愛媛県松山市にお生まれになり,昭和41(1966)年広島大学大学院理学研究科博士課程植物学専攻を修了し,同年より平成10(1998)年まで広島大学理学部に勤務されました.これまでに,文化財保護分野において広島市文化財審議会委員長,廿日市市文化財保護審議会委員長,広島県文化財保護審議会委員を歴任されました.心よりお祝い申し上げます.
 
 関先生は,昭和9(1934)年に愛媛県松山市にお生まれになり,昭和41(1966)年広島大学大学院理学研究科博士課程植物学専攻を修了し,同年より平成10(1998)年まで広島大学理学部に勤務されました.これまでに,文化財保護分野において広島市文化財審議会委員長,廿日市市文化財保護審議会委員長,広島県文化財保護審議会委員を歴任されました.心よりお祝い申し上げます.
  
=地域文化功労者表彰拝受にあたって=
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==地域文化功労者表彰拝受にあたって==
 
 この度,私こと地域文化功労者文部科学大臣表彰を頂きましたことは,広島県内各地の文化財行政の関係者,文化財の所有者,研究者の方々の長年にわたるお力添えによるもので,深く感謝いたしております.新型コロナ禍のため,令和3年1月24日に予定されていた京都での授賞式が中止になり,大変残念でした.思いかえせば,昭和45年に旧廿日市町,53年に旧宮島町の文化財保護審議会委員を拝命して以来,広島市・広島県の委員を50年にわたり大過なく勤めさせて頂きましたのは,ひとえに関係者の方々の温かいご指導ご鞭撻のたまものと深く感謝いたしております.
 
 この度,私こと地域文化功労者文部科学大臣表彰を頂きましたことは,広島県内各地の文化財行政の関係者,文化財の所有者,研究者の方々の長年にわたるお力添えによるもので,深く感謝いたしております.新型コロナ禍のため,令和3年1月24日に予定されていた京都での授賞式が中止になり,大変残念でした.思いかえせば,昭和45年に旧廿日市町,53年に旧宮島町の文化財保護審議会委員を拝命して以来,広島市・広島県の委員を50年にわたり大過なく勤めさせて頂きましたのは,ひとえに関係者の方々の温かいご指導ご鞭撻のたまものと深く感謝いたしております.
  
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市町村合併も小学校の廃校も,過疎が原因で,どうしようもない時代の流れといってしまえばそれまでですが.何か一抹の寂しさを感じます.これからも,微力ではありますが,廿日市市をはじめ広島県内の文化財保護に努めたいと念願いたしております.この度は,まことにありがとうございました.
 
市町村合併も小学校の廃校も,過疎が原因で,どうしようもない時代の流れといってしまえばそれまでですが.何か一抹の寂しさを感じます.これからも,微力ではありますが,廿日市市をはじめ広島県内の文化財保護に努めたいと念願いたしております.この度は,まことにありがとうございました.
関 太郎
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<div style="text-align:right">(関 太郎)</div>

2021年2月17日 (水) 14:12時点における版

令和2年度地域文化功労者表彰(文部科学大臣)について

 地域文化の振興に功績があった個人や団体を表彰する地域文化功労者表彰(文部科学大臣表彰)に広島大学名誉教授の関太郎先生が表彰されました.

 関先生は,昭和9(1934)年に愛媛県松山市にお生まれになり,昭和41(1966)年広島大学大学院理学研究科博士課程植物学専攻を修了し,同年より平成10(1998)年まで広島大学理学部に勤務されました.これまでに,文化財保護分野において広島市文化財審議会委員長,廿日市市文化財保護審議会委員長,広島県文化財保護審議会委員を歴任されました.心よりお祝い申し上げます.

地域文化功労者表彰拝受にあたって

 この度,私こと地域文化功労者文部科学大臣表彰を頂きましたことは,広島県内各地の文化財行政の関係者,文化財の所有者,研究者の方々の長年にわたるお力添えによるもので,深く感謝いたしております.新型コロナ禍のため,令和3年1月24日に予定されていた京都での授賞式が中止になり,大変残念でした.思いかえせば,昭和45年に旧廿日市町,53年に旧宮島町の文化財保護審議会委員を拝命して以来,広島市・広島県の委員を50年にわたり大過なく勤めさせて頂きましたのは,ひとえに関係者の方々の温かいご指導ご鞭撻のたまものと深く感謝いたしております.

 この機会に,私が,日頃,文化財保護について危惧しておりますことを申し上げさせて頂きたく存じます.それは二点あります.まずその一つは,市町村合併による弊害です.例えば宮島はその例にあたります.旧宮島町の時代には,きめ細かい配慮がなされ,委員会も何度も開かれ,現地を視察し,十分な討義がなされました.担当職員も宮島の出身者がいて,住居も宮島でしたから,話がスムーズに進みました.廿日市市は広域合併によって,中国山地の海抜1339 mの冠山がある旧吉和村から瀬戸内海の島嶼である旧宮島町まで,ひとつの市となり,文化財行政が希薄になったことは否めません.対応する職員も数が増えたわけではないので,負担がたいへんです.広島市の場合は,もとの可部町・五日市町・湯来町などの元文化財保護委員が,補助員という資格で配置されていましたが,私の在任中には,あまり,効果があったとは思えませんでした.

 二つ目は,小学校の廃校です.天然記念物のような有形文化財,神楽のような無形文化財は小学校の校区を中心として保存活動がなされて来ました.文化財に指定されてはいませんが,旧佐伯町にあった浅原小学校は,近くに,茶道の上田宗箇流にいわれのある湧水があり,毎年,秋に献茶式が行われ,児童がお点前をして,参列者にお茶をふるまいました.私も何度か列席いたしましたが,ほほえましい光景でした.六年生は,卒業前に広島の上田宗箇流の茶室に招かれ,家元からお点前を頂くのが恒例になっていました.浅原小学校は廃校となり,今は,もう,そういう行事はありません.   市町村合併も小学校の廃校も,過疎が原因で,どうしようもない時代の流れといってしまえばそれまでですが.何か一抹の寂しさを感じます.これからも,微力ではありますが,廿日市市をはじめ広島県内の文化財保護に努めたいと念願いたしております.この度は,まことにありがとうございました.

(関 太郎)