「広島県の主要遺跡/帝釈弘法滝洞窟遺跡」の版間の差分

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帝釈観音堂洞窟遺跡とともに下帝釈地域の中核的な遺跡のひとつです。洞窟の入り口部分を中心に遺跡が形成されています。洞窟は石灰岩の絶壁の下部に開いており、弘法滝の名の由来は石灰岩の絶壁がちょうど滝のように見えることからきているようです。
 
帝釈観音堂洞窟遺跡とともに下帝釈地域の中核的な遺跡のひとつです。洞窟の入り口部分を中心に遺跡が形成されています。洞窟は石灰岩の絶壁の下部に開いており、弘法滝の名の由来は石灰岩の絶壁がちょうど滝のように見えることからきているようです。
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1985年から16回の発掘調査が実施されており、現在も調査中です。16枚の自然層が観察されており、縄文時代を中心に、古墳時代、古代、中世などに遺跡は営まれているようですが、第4層がすでに中期の文化層であり、縄文時代前半期の文化層が厚く堆積しており、土器編年の良好な資料を提供しています。また、川からの高さが高いことから洞窟の堆積層が厚いと予想され、遺跡の形成が縄文時代の古い時期、あるいは旧石器時代までさかのぼるのではないかと期待されています。
 
1985年から16回の発掘調査が実施されており、現在も調査中です。16枚の自然層が観察されており、縄文時代を中心に、古墳時代、古代、中世などに遺跡は営まれているようですが、第4層がすでに中期の文化層であり、縄文時代前半期の文化層が厚く堆積しており、土器編年の良好な資料を提供しています。また、川からの高さが高いことから洞窟の堆積層が厚いと予想され、遺跡の形成が縄文時代の古い時期、あるいは旧石器時代までさかのぼるのではないかと期待されています。
  
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2021年2月12日 (金) 16:26時点における版

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帝釈弘法滝洞窟遺跡(神石郡油木町)

帝釈観音堂洞窟遺跡とともに下帝釈地域の中核的な遺跡のひとつです。洞窟の入り口部分を中心に遺跡が形成されています。洞窟は石灰岩の絶壁の下部に開いており、弘法滝の名の由来は石灰岩の絶壁がちょうど滝のように見えることからきているようです。

1985年から16回の発掘調査が実施されており、現在も調査中です。16枚の自然層が観察されており、縄文時代を中心に、古墳時代、古代、中世などに遺跡は営まれているようですが、第4層がすでに中期の文化層であり、縄文時代前半期の文化層が厚く堆積しており、土器編年の良好な資料を提供しています。また、川からの高さが高いことから洞窟の堆積層が厚いと予想され、遺跡の形成が縄文時代の古い時期、あるいは旧石器時代までさかのぼるのではないかと期待されています。