「東広島キャンパスから出土した遺物/鏡東谷遺跡」の版間の差分
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北地区西端部の埋没谷から多量の陶磁器が出土しました。調査直前まで立っていた民家を建てる際に周辺を削平して谷を埋め敷地を広げたものと思われます。磁器類は肥前地方(現在の佐賀県)で焼かれたものを中心としおり、椀、皿が主体です。江戸時代後期~明治時代にかけての良好な資料です。 | 北地区西端部の埋没谷から多量の陶磁器が出土しました。調査直前まで立っていた民家を建てる際に周辺を削平して谷を埋め敷地を広げたものと思われます。磁器類は肥前地方(現在の佐賀県)で焼かれたものを中心としおり、椀、皿が主体です。江戸時代後期~明治時代にかけての良好な資料です。 | ||
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ファイル:東谷遺跡008_khibutu02b.jpg|200px|thumb|right|須恵器提瓶 | ファイル:東谷遺跡008_khibutu02b.jpg|200px|thumb|right|須恵器提瓶 |
2021年2月5日 (金) 15:27時点における版
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江戸時代
- 近代の陶磁器
北地区西端部の埋没谷から多量の陶磁器が出土しました。調査直前まで立っていた民家を建てる際に周辺を削平して谷を埋め敷地を広げたものと思われます。磁器類は肥前地方(現在の佐賀県)で焼かれたものを中心としおり、椀、皿が主体です。江戸時代後期~明治時代にかけての良好な資料です。
古墳時代
- 須恵器
敷石の下や石室の外から破片となって出土しました。敷石が施される以前の死者にささげられた副葬品の一部で、追葬の際に片付けられたものと思われます。提瓶は皮の水筒を模して作られたといわれています。
- 土玉
須恵器提瓶とともに、敷石の下から出土しました。須恵器提瓶と同じ時期かどうかはわかりませんが、やはり敷石を施す以前の死者にささげられた副葬品の一部です。古墳時代後期の横穴式石室からはガラス製の小玉が時々出土しますが、土製の玉が出土する例はあまり多くはありません。