「東広島キャンパスの遺跡/西ガガラ遺跡第1地点」の版間の差分

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   住居跡1軒、集石遺構1基、土坑48基
 
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旧石器時代の遺構・遺物は大きく3ヶ所に分布しています。北部には、集石土坑1基、石器ブロック2基、中央部には、住居2軒跡、土坑4基、石器ブロック2基、南部には、住居跡4軒、炉跡1基、礫群2基、配石1基、土坑6基、石器ブロック1基があります。出土石器から見ると、中央部と南部は同じ時期と考えられ、大きく2時期の集落が認められることになります。両方とも後期旧石器時代前半期に属し、北部の集落(約28000年前)が中央部・南部の集落(約25000年前)に先行して営まれました。北部の集落では安山岩を利用した石器、中央部・南部では流紋岩を利用した石器が主に使用されています。
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2021年2月4日 (木) 13:37時点における版

広島大学 > 広島大学デジタル博物館 > 文化財博物館 > 東広島キャンパスの遺跡 > 西ガガラ遺跡第1地点


第1地点は標高220~225mの段丘面を中心にががら山南麓の斜面部などにも遺跡は広がっています。旧地形は南南西にのびる平坦な丘陵状の地形で、調査前の造成工事によって地形の約半分が消滅しました。残された部分の大部分について発掘調査を行い、旧石器時代~縄文時代の遺構・遺物を多数発見しました。旧石器時代では3時期の遺構や遺物が出土しました。後期旧石器時代の前半を中心としています。縄文時代では、早期前半~中頃の集落跡が見つかりました。

西ガガラ遺跡第1地点

第1地点で見つかった遺構をまとめると、次のようになります。旧石器時代の遺構・遺物は調査区のほぼ全域で出土しましたが、段丘の南北中軸線を中心としています。縄文時代の遺構・遺物は調査区北部と調査区南部を主体としており、時期を多少違えて集落が営まれているようです。

★旧石器時代

 石器ブロック5基、住居跡6軒、礫群2基、炉跡1基、配石1基、集石土坑1基、土坑10基

★縄文時代  

 住居跡1軒、集石遺構1基、土坑48基

旧石器時代の遺構・遺物は大きく3ヶ所に分布しています。北部には、集石土坑1基、石器ブロック2基、中央部には、住居2軒跡、土坑4基、石器ブロック2基、南部には、住居跡4軒、炉跡1基、礫群2基、配石1基、土坑6基、石器ブロック1基があります。出土石器から見ると、中央部と南部は同じ時期と考えられ、大きく2時期の集落が認められることになります。両方とも後期旧石器時代前半期に属し、北部の集落(約28000年前)が中央部・南部の集落(約25000年前)に先行して営まれました。北部の集落では安山岩を利用した石器、中央部・南部では流紋岩を利用した石器が主に使用されています。