東広島キャンパスの遺跡/陣ヶ平西遺跡

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陣ヶ平西遺跡

陣ヶ平西遺跡は標高 240m前後の丘陵緩斜面に立地しています。これまでに予備調査4回と発掘調査1回を行っており、竪穴式住居跡、土坑、須恵器窯跡、古墳など古墳時代を中心とする遺構・遺物が多数発見されました。住居跡は予備調査で丘陵緩斜面裾を中心として3軒を検出していますが、地形から見て一帯にはさらに多くの住居跡が存在すると予想されます。住居跡群の北側で、古墳時代の須恵器焼成窯跡を2基、古代の須恵器焼成窯跡1基が見つかました。住居跡からは失敗したと思われる多量の須恵器が出土し、須恵器生産を中心とする工人の集落と考えられます。さらに、須恵器焼成窯跡の約50m東の丘陵には古墳が 1基築造されています。集落遺跡・生産遺跡・墓地遺跡が一体として捉えられる貴重な遺跡です。


遺跡の概要

陣ヶ平西遺跡では発掘調査で古墳時代および古代の須恵器焼成窯跡が発見されました。試掘調査で古墳時代の集落や古墳が確認されましたが、詳細は不明です。発見された遺構は次のとおりです。


★古墳時代(後期)  竪穴式住居跡3軒、土坑7基、須恵器窯跡2基、古墳1基 ★古代(奈良時代後半)  須恵器窯跡1基

3号窯跡(SY03、古墳時代)

古墳時代の須恵器窯跡は2基見つかっています。3号窯跡は1号窯跡に先行して造られました。窯体の長さは約9mあります。地下式あな窯で、急斜面にトン ネル状の窯を築いたものです(調査時には天井が落ちているので溝状に見えます)。焼成部床面は約30゜と傾斜が急で、床面には須恵器を置くためと推定される刳り込みが階段状に配置されていました。焚口部の左右には複数の作業場が付設されており、前庭部(焚口に面した広い作業場)から灰原(はいばら、焼け土・灰・須恵器破損品などの捨て場)にかけては排水用の溝が認められました。 須恵器は窯跡の内外から出土しましたが、操業が短期間であったため量はあまり多くありません。


1号窯跡(SY01、古墳時代)

1号窯跡は、3号窯跡を埋めたのち、少し北側にずらして構築している。窯体の長さは約8.4m、最大幅約2.2mの規模です。調査時には天井が落ちていましたのではっきりしませんが、地下式あるいは半地下式のあな窯の形式です。焼成部床面は約38゜と急傾斜で、床面には、3号窯跡同様、平坦な刳り込みが階段状に多数掘り込まれていました。焚口部左右に複数の作業場が付設されていました。焚口部分に柱穴が掘り込まれていたことから、屋根がかけられていたと思われます。また、燃焼部の床面は10枚以上の床の張りかえが認められ、長期間にわたる操業の様子がうかがえます。  須恵器は窯の内外から多量に出土しました。いずれも焼き損じてひずんだものや壊れたものです。1号窯跡と3号窯跡は出土の須恵器から時期差はあまりなく、古墳時代後期後半(6世紀後半~末)と考えられます。


陣ヶ平西古墳(古墳時代)

横穴式石室を内部主体とする古墳です。山林の砂防工事などによって羨道部分を破壊されており、天井石の大半も抜き取られていました。墳丘の大半も削平・ 流失していますが、直径約10mの円墳と推定されます。予備調査のため石室内部の調査は行っていませんが、現状で石室の長さ約 2.5m、幅約1mの規模です。山林造成の際に石室の一部が破壊されたと思われ、古墳の立地する丘陵裾で須恵器が多数出土しました。出土須恵器より、古墳時代後期後半(6世紀末)に位置づけられ、1・3号窯跡と同時期です。窯跡の南側には同時期の集落跡も存在することから、須恵器工人の長およびその血縁者が葬られていると想定されます。