「東広島キャンパスの遺跡/陣ヶ平西遺跡/陣ヶ平西遺跡2号古墳」の版間の差分

提供: 広島大学デジタル博物館
ナビゲーションに移動検索に移動
2行目: 2行目:
  
  
2号窯跡は、窯体部と前庭部、灰原という単純な構成で、付属の作業場は認められません。窯体は長さ約5.8m、最大幅1.6mと小規模で、焼成部床面は約39゜と急傾斜です。煙道の一部が残っていました。傾斜は約64゜あります。出土須恵器は坏身などがわずかにあるのみで、灰原の形成も弱いことなどから操業は短期間であったと推定されます。[[東広島キャンパスから出土した遺物/陣ヶ平西遺跡#歴史時代|出土須恵器]]から奈良時代後半頃に位置づけられます。広島県教育委員会が発掘調査を実施した東広島キャンパス内の東ガガラ窯跡も同様な規模や構造をもっています。
+
2号窯跡は、窯体部と前庭部、灰原という単純な構成で、付属の作業場は認められません。窯体は長さ約5.8m、最大幅1.6mと小規模で、焼成部床面は約39゜と急傾斜です。煙道の一部が残っていました。傾斜は約64゜あります。出土須恵器は坏身などがわずかにあるのみで、灰原の形成も弱いことなどから操業は短期間であったと推定されます。[[東広島キャンパスから出土した遺物/陣ヶ平西遺跡#奈良時代|出土須恵器]]から奈良時代後半頃に位置づけられます。広島県教育委員会が発掘調査を実施した東広島キャンパス内の東ガガラ窯跡も同様な規模や構造をもっています。
  
  

2021年2月12日 (金) 15:33時点における版

陣ヶ平西遺跡2号窯跡古墳(奈良時代)

2号窯跡は、窯体部と前庭部、灰原という単純な構成で、付属の作業場は認められません。窯体は長さ約5.8m、最大幅1.6mと小規模で、焼成部床面は約39゜と急傾斜です。煙道の一部が残っていました。傾斜は約64゜あります。出土須恵器は坏身などがわずかにあるのみで、灰原の形成も弱いことなどから操業は短期間であったと推定されます。出土須恵器から奈良時代後半頃に位置づけられます。広島県教育委員会が発掘調査を実施した東広島キャンパス内の東ガガラ窯跡も同様な規模や構造をもっています。