「東広島キャンパスの遺跡/陣ヶ平西遺跡/1号窯跡」の版間の差分

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1号窯跡は、3号窯跡を埋めたのち、少し北側にずらして構築している。窯体の長さは約8.4m、最大幅約2.2mの規模です。調査時には天井が落ちていましたのではっきりしませんが、地下式あるいは半地下式のあな窯の形式です。焼成部床面は約38゜と急傾斜で、床面には、3号窯跡同様、平坦な刳り込みが階段状に多数掘り込まれていました。焚口部左右に複数の作業場が付設されていました。焚口部分に柱穴が掘り込まれていたことから、屋根がかけられていたと思われます。また、燃焼部の床面は10枚以上の床の張りかえが認められ、長期間にわたる操業の様子がうかがえます。
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1号窯跡は、3号窯跡を埋めたのち、少し北側にずらして構築しています。窯体の長さは約8.4m、最大幅約2.2mの規模です。調査時には天井が落ちていましたのではっきりしませんが、地下式あるいは半地下式のあな窯の形式です。焼成部床面は約38゜と急傾斜で、床面には、3号窯跡同様、平坦な刳り込みが階段状に多数掘り込まれていました。焚口部左右に複数の作業場が付設されていました。焚口部分に柱穴が掘り込まれていたことから、屋根がかけられていたと思われます。また、燃焼部の床面は10枚以上の床の張りかえが認められ、長期間にわたる操業の様子がうかがえます。
 
[[東広島キャンパスから出土した遺物/陣ヶ平西遺跡|須恵器]]は窯の内外から多量に出土しました。いずれも焼き損じてひずんだものや壊れたものです。1号窯跡と3号窯跡は出土の須恵器から時期差はあまりなく、古墳時代後期後半(6世紀後半~末)と考えられます。
 
[[東広島キャンパスから出土した遺物/陣ヶ平西遺跡|須恵器]]は窯の内外から多量に出土しました。いずれも焼き損じてひずんだものや壊れたものです。1号窯跡と3号窯跡は出土の須恵器から時期差はあまりなく、古墳時代後期後半(6世紀後半~末)と考えられます。
  

2022年10月8日 (土) 11:06時点における版

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1号窯跡(SY01 古墳時代)

1号窯跡は、3号窯跡を埋めたのち、少し北側にずらして構築しています。窯体の長さは約8.4m、最大幅約2.2mの規模です。調査時には天井が落ちていましたのではっきりしませんが、地下式あるいは半地下式のあな窯の形式です。焼成部床面は約38゜と急傾斜で、床面には、3号窯跡同様、平坦な刳り込みが階段状に多数掘り込まれていました。焚口部左右に複数の作業場が付設されていました。焚口部分に柱穴が掘り込まれていたことから、屋根がかけられていたと思われます。また、燃焼部の床面は10枚以上の床の張りかえが認められ、長期間にわたる操業の様子がうかがえます。 須恵器は窯の内外から多量に出土しました。いずれも焼き損じてひずんだものや壊れたものです。1号窯跡と3号窯跡は出土の須恵器から時期差はあまりなく、古墳時代後期後半(6世紀後半~末)と考えられます。

遺構