東広島キャンパスの遺跡/西ガガラ遺跡第1地点

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西ガガラ遺跡第1地点

第1地点[1]は標高220~225mの段丘面を中心にががら山南麓の斜面部などにも遺跡は広がっています。旧地形は南南西にのびる平坦な丘陵状の地形で、調査前の造成工事によって地形の約半分が消滅しました。残された部分の大部分について発掘調査を行い、旧石器時代~縄文時代の遺構・遺物を多数発見しました。旧石器時代では3時期の遺構や遺物が出土しました。後期旧石器時代の前半を中心としています。縄文時代では、早期前半~中頃の集落跡が見つかりました。 第1地点で見つかった遺構をまとめると、次のようになります。旧石器時代の遺構・遺物は調査区のほぼ全域で出土しましたが、段丘の南北中軸線を中心としています。縄文時代の遺構・遺物は調査区北部と調査区南部を主体としており、時期を多少違えて集落が営まれているようです。

旧石器時代
石器ブロック5基、住居跡6軒、礫群2基、炉跡1基、配石1基、集石土坑1基、土坑10基
縄文時代
住居跡1軒、集石遺構1基、土坑48基

旧石器時代の遺構・遺物分布状況

旧石器時代の遺構・遺物は大きく3ヶ所に分布しています。北部には、集石土坑1基、石器ブロック2基、中央部には、住居2軒跡、土坑4基、石器ブロック2基、南部には、住居跡4軒、炉跡1基、礫群2基、配石1基、土坑6基、石器ブロック1基があります。出土石器から見ると、中央部と南部は同じ時期と考えられ、大きく2時期の集落が認められることになります。両方とも後期旧石器時代前半期に属し、北部の集落(約28000年前)が中央部・南部の集落(約25000年前)に先行して営まれました。北部の集落では安山岩を利用した石器、中央部・南部では流紋岩を利用した石器が主に使用されています。

1.平地式住居跡と土坑

D5区で2軒、D7・8区で4軒の合計6軒の住居跡が発見されました。地面に柱穴を掘り込んだだけの平地式住居と呼ばれる形式です。柱穴は直径10㎝程度で、ほぼまっすぐにあいていました。住居の平面は楕円形を呈し、長径約4m、短径約3mと小規模の住居が復元されました。 テント状の簡単な家であったと思われます。住居の周りには土坑や石器ブロック、礫群などが発見されました。住居の周りで石器製作や食料の調理や貯蔵などを行っていた様子が復元できました。出土の石器から後期旧石器時代中頃(約25000年前)の集落の跡と考えられます。 旧石器時代の住居跡は全国的に見ても20例程度と発見例が少なく、貴重な資料ですが、旧石器時代の住居は構造がきわめて簡単なため発見例が極端に少ないものと考えられます。

2.炉跡

1号住居跡の南側に近接<して作られた炉跡で、屋外炉です。調理用の施設と考えられる礫群からもほど遠くない位置にあります。平面楕円形を呈し、長径約65㎝、短径約55㎝、深さ約30㎝の規模があります。壁面は焼けて赤くなっており、埋土の上半部に多量の木炭粒を含んでいました。炉跡の南側には遺構が認められません。広場として利用されていたのかもしれません。 第1地点で発見された炉跡は1基だけです。ほかの場所でも火を焚いたいたと思われますが、痕跡を確認できませんでした。

3.礫群

1号住居跡と2号住居跡の間で2基の礫群が発見されました。2基の礫群は近接しており、元々は1つだったのかもしれません。南側(写真手前)が1号礫群、北側が2号礫群です。1号礫群は1.7×1.1m、2号礫群は0.9×0.8mの規模があります。石材は花崗岩(かこうがん)で、拳大あるいはそれより小さいものを中心に使用しています。構成礫は相互に接合することから、大型の厚手・扁平礫を拳大に小割して利用していることがわかりました。 礫群を構成する礫はすべてよく焼けており、蒸し焼き料理のような調理に利用されたものと考えられます。

縄文時代の遺構・遺物分布状況

縄文時代の遺構は調査区の北部・中央部・南部の3ヶ所に分布が分かれており、遺物の分布は基本的に遺構の分布と重複しています。北部の遺構はさらに西部・中央部・東部の3ヶ所に分かれており、土坑を中心としていますが、西部は住居跡1軒を含むことから居住地区であることがわかります。東部の土坑群は浅い谷の中に分布することから貯蔵穴である可能性が考えられます。調査区中央部は土坑10基、南部は集石遺構1基、土坑5基がありますが、南部の遺構は分布がきわめて散漫です。 出土遺物から見ると、北部と南部の2時期に集落が営まれたことがわかります。北部の遺構は早期前葉(約9000年前)、南部の遺構は早期中葉(約8000年前)に位置づけられます。

1.平地式住居跡

調査区の北部で発見された住居跡です。平面はほぼ円形を呈しており、直径約 3.5mの規模をもっています。旧石器時代の住居跡と同様の平地式住居ですが、柱の穴の直径が20~30cm、深さ30cm程度と大型であることからかなりしっかりした家が建っていたものと思われます。家の中には炉は認められなかったことから屋外で調理などは行っていると考えられます。家の中や周囲には長さ1m前後の土坑が見られ、貯蔵穴である可能性があります。出土の土器から早期前葉(約9000年前)のものと思われます。

2.集石遺構

調査区の中央部で発見された集石遺構です。付近には小型の17号土坑が存在するのみで、ほとんど何もありませんが、西ガガラ遺跡第2地点との間にある谷に面した位置にあります。拳大~幼児頭大の礫が直径80㎝の範囲に分布していました。礫は焼けて煤の付着も認められました。旧石器時代の礫群に似ていますが、構成礫の数がかなり少ないことが相違点です。石組み炉が壊れたものかもしれません。周りからほとんど遺物が出土していないの、はっきりした時期はわかりませんが、東側には縄文時代早期中頃(約8000年前)の土坑群が位置していることから、同じ時期に位置づけられると思われます。

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