「東広島キャンパスの遺跡/鴻の巣南遺跡」の版間の差分

提供: 広島大学デジタル博物館
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==弥生時代の遺跡・遺物分布状況==
 
==弥生時代の遺跡・遺物分布状況==
  
ファイル:鴻の巣南遺跡003_kom01a.jpg|200px|right|第1号住居跡
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ファイル:鴻の巣南遺跡003_kom01a.jpg|200px|right|1号住居跡
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ファイル:鴻の巣南遺跡004_kom02a.jpg|200px|right|2号住居跡(SB02)
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ファイル:鴻の巣南遺跡005_kom04a.jpg|200px|right|住居跡状遺構(SX01)
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ファイル:鴻の巣南遺跡006_kom05a.jpg|200px|right|住居跡状遺構平坦面の弥生土器出土状況
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ファイル:鴻の巣南遺跡007_kom03a.jpg|200px|right|4号土坑と弥生土器の出土状況
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===1.1号住居跡(SB01)===
 
===1.1号住居跡(SB01)===
 
平面楕円形の竪穴住居跡です。長径6.5m、短径5.4m、深さ約40cmの規模です。住居中央に楕円形の炉跡が造られ、壁に沿うように柱穴が6本配置されています。住居(竪穴の掘り込み)の周りには斜めに穿たれた直径10cm前後の柱穴が等間隔に見つかりました。柱穴は内側に向かうように掘られており、屋根の構築材である垂木を差し込むための穴(垂木穴)と考えられます。南側垂木穴のうち1ヶ所は間隔がほかの部分よりかなり広く、柱穴がまっすぐ掘り込まれていること、壁の高さがもっとも低い部分であることなどから入口にあたると考えられます。垂木穴が発見されることはほとんどなく、貴重な資料です。 住居内からは、弥生土器、石鏃、磨製石斧、鉄製釣針などが出土しました。出土遺物から見て、弥生時代後期中頃(約1800年前)の住居と考えられます。
 
平面楕円形の竪穴住居跡です。長径6.5m、短径5.4m、深さ約40cmの規模です。住居中央に楕円形の炉跡が造られ、壁に沿うように柱穴が6本配置されています。住居(竪穴の掘り込み)の周りには斜めに穿たれた直径10cm前後の柱穴が等間隔に見つかりました。柱穴は内側に向かうように掘られており、屋根の構築材である垂木を差し込むための穴(垂木穴)と考えられます。南側垂木穴のうち1ヶ所は間隔がほかの部分よりかなり広く、柱穴がまっすぐ掘り込まれていること、壁の高さがもっとも低い部分であることなどから入口にあたると考えられます。垂木穴が発見されることはほとんどなく、貴重な資料です。 住居内からは、弥生土器、石鏃、磨製石斧、鉄製釣針などが出土しました。出土遺物から見て、弥生時代後期中頃(約1800年前)の住居と考えられます。

2021年2月4日 (木) 16:00時点における版

鴻の巣南遺跡はアカデミック地区の西部に位置しています。標高は約219mで、鴻の巣遺跡が立地する丘陵の先端部に立地しています。発掘調査時点で周辺を大きく削平されており、遺跡の一部が残されていたにすぎません。調査の結果、調査区の全域に弥生時代の集落跡が広がっていることがわかりました。また、縄文時代の遺構・遺物も発見されています。

鴻の巣南遺跡で発見された遺構をまとめると、次のようになります。

★縄文時代

 土坑2基

★弥生時代

 竪穴住居1軒、掘立柱建物跡1棟,、住居跡状遺構1軒、土坑6基、特殊遺構2基

縄文時代の遺構は土坑が2基発見されたのみですが、土坑周辺のほかにも遺物の集中箇所が3ヶ所あり、さらに遺構が存在した可能性があります。弥生時代の遺構・遺物は調査区の全域から発見されています。調査区東側に住居跡、調査区南側に倉庫(掘立柱建物)、調査区西側に祭祀場あるいは墓地が配置されています。

弥生時代の遺跡・遺物分布状況

1.1号住居跡(SB01)

平面楕円形の竪穴住居跡です。長径6.5m、短径5.4m、深さ約40cmの規模です。住居中央に楕円形の炉跡が造られ、壁に沿うように柱穴が6本配置されています。住居(竪穴の掘り込み)の周りには斜めに穿たれた直径10cm前後の柱穴が等間隔に見つかりました。柱穴は内側に向かうように掘られており、屋根の構築材である垂木を差し込むための穴(垂木穴)と考えられます。南側垂木穴のうち1ヶ所は間隔がほかの部分よりかなり広く、柱穴がまっすぐ掘り込まれていること、壁の高さがもっとも低い部分であることなどから入口にあたると考えられます。垂木穴が発見されることはほとんどなく、貴重な資料です。 住居内からは、弥生土器、石鏃、磨製石斧、鉄製釣針などが出土しました。出土遺物から見て、弥生時代後期中頃(約1800年前)の住居と考えられます。