東広島キャンパスの遺跡/鴻の巣南遺跡

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鴻の巣南遺跡

鴻の巣南遺跡はアカデミック地区の西部に位置しています。標高は約219mで、鴻の巣遺跡が立地する丘陵の先端部に立地しています。発掘調査時点で周辺を大きく削平されており、遺跡の一部が残されていたにすぎません。調査の結果、調査区の全域に弥生時代の集落跡が広がっていることがわかりました。また、縄文時代の遺構・遺物も発見されています。

鴻の巣南遺跡で発見された遺構をまとめると、次のようになります。

縄文時代
土坑2基
弥生時代
竪穴住居1軒、掘立柱建物跡1棟,、住居跡状遺構1軒、土坑6基、特殊遺構2基

縄文時代の遺構は土坑が2基発見されたのみですが、土坑周辺のほかにも遺物の集中箇所が3ヶ所あり、さらに遺構が存在した可能性があります。弥生時代の遺構・遺物は調査区の全域から発見されています。調査区東側に住居跡、調査区南側に倉庫(掘立柱建物)、調査区西側に祭祀場あるいは墓地が配置されています。

弥生時代の遺跡・遺物分布状況

1.1号住居跡(SB01)

平面楕円形の竪穴住居跡です。長径6.5m、短径5.4m、深さ約40cmの規模です。住居中央に楕円形の炉跡が造られ、壁に沿うように柱穴が6本配置されています。住居(竪穴の掘り込み)の周りには斜めに穿たれた直径10cm前後の柱穴が等間隔に見つかりました。柱穴は内側に向かうように掘られており、屋根の構築材である垂木を差し込むための穴(垂木穴)と考えられます。南側垂木穴のうち1ヶ所は間隔がほかの部分よりかなり広く、柱穴がまっすぐ掘り込まれていること、壁の高さがもっとも低い部分であることなどから入口にあたると考えられます。垂木穴が発見されることはほとんどなく、貴重な資料です。 住居内からは、弥生土器、石鏃、磨製石斧、鉄製釣針などが出土しました。出土遺物から見て、弥生時代後期中頃(約1800年前)の住居と考えられます。

2.2号住居跡(SB02、弥生時代)

2号住居跡(写真左下の柱穴群)は東西2間、南北2間の掘立柱建物跡です。東西建物で、桁行約3m、梁行2.5mの規模です。柱穴は直径20cm、深さ30cm程度の規模です。総柱建物であることから、倉庫と考えられます。 2号住居跡の周辺にはほかにも柱穴が存在することから、さらに建物が存在したのかもしれません。

3.住居跡状遺構(SX01、弥生時代)

住居跡状遺構は調査区東端部で発見された遺構で、西側を大きく削平されています。そのため、全体の形はよくわかりませんが、平面楕円形の皿状の窪みとその南半部に平坦面がめぐるような構造であったものと推定されます。楕円形の皿状の窪みは、現状で、南北6m、東西2.5m、深さ25cmの規模で、幅0.5~1.5mの平坦面がめぐっています。平坦面は周囲から10cm程度掘り込んで造られており、平坦面の端には溝がめぐっていました。皿状の窪みからは、弥生土器、磨製石斧が出土しました。また、平坦面の中央部では完形の弥生土器が横倒しになった状態で出土しています。

4.住居跡状遺構平坦面の弥生土器出土状況(弥生時代)

住居跡状遺構の平坦面中央付近で弥生土器がほぼそのままの形で出土しました。弥生土器は壷形土器です。元々は口縁部を上にして置かれていたのかもしれません。この土器を含めて、住居跡状遺構の周辺には、土坑が円形に配置されていました。土坑の中には完形の土器が納められているものもありました。

5.4号土坑と弥生土器の出土状況(弥生時代)

住居跡状遺構と重複あるいは近接して4基の土坑が造られています。また、住居跡遺構の平坦面や土坑群の南側では完形の弥生土器が置かれた状態で出土しています。また、4号土坑(写真)、6号土坑では完形の弥生土器が収められおり、3号土坑、5号土坑も人為的に埋められたものと推定されます。これらの土坑および完形土器は円を描くように配置されており、住居跡遺構を含めて祭祀的な性格を持つ遺構ではないかと思われます。