須恵器

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須恵器(すえき)

  • 古墳時代中頃に朝鮮半島を通じて伝来した硬質の焼物で、青灰色を呈する。須恵器が生産されるまでは土師器(はじき)と呼ばれる素焼きの焼物のみであった。
  • 須恵器は傾斜地に窯を築いて生産する。窯は斜面を刳りぬくなどして築いたトンネル状のけいじょうをしており、窖窯(あながま)と呼ばれている。1100~1150℃の高温の還元炎(かんげんえん、酸素が少ない状態)で焼成される。灰色を呈しているのはそのためである。
  • 当初須恵器の生産は大阪府陶邑(すえむら)など限られた地域で行われており、古墳の副葬品を中心としていたが、古墳時代の後半期には各地で生産が行われるようになり、一般の集落跡からもある程度出土するようになる。こうして、西日本では、土師器がしだいに調理用具や一部の貯蔵具、あるいは特別の容器などに限定されていくようである。
  • 須恵器は、古墳時代以降古代を通じて主要な焼物の地位を占めている。古墳時代では、蓋付杯(ふたつきのつき)、高杯(たかつき)、坩(つぼ)、長頸(ちょうけいつぼ、ながくびつぼ)、提瓶(さげべ)、平瓶(ひらか)、横瓶(よこべ)、広口壺(ひろくちつぼ)、大甕(おおがめ)などが生産され、須恵器生産が始まる前のはじきの器種構成とは大きく異なっている。これは須恵器の生産が朝鮮半島からの渡来人の強力な関与のもとに開始されたことに関連するものと思われ、朝鮮半島の陶質土器の器種構成に共通している。また、現在の我々の生活の中では見られないような変わった形の器種もあるが、基本的な用途については須恵器の器種が現在の焼物の底流をなしているといえよう。
  • 古代では、器種構成に変化はあるものの、蓋付杯、杯、盤、壺類など中・小型を主体に大甕などの大型品を生産している。さらに、中世にも引き続き須恵器は生産され、岡山県西南部の亀山焼(かめやまやき)、石川県の珠洲焼(すずやき)、兵庫県南部の東播系須恵器(とうばんけいすえき)、などが広く流通しているが、中世後半の室町時代には衰退し、廃絶している。